ダブルチーズバーガー

昨日から今日にかけてまでの出来事について書こう。

 

昨日の夜、わたしは3時間だけのためにバイトに向かった。もうすっかり気温も下がり、バイト着にもカーディガンを羽織る時期である。バイトに着くやいなや、1時間外でキャッチをしなければならなかった。

足の冷えに耐えながらも、駅に向かって歩いて行く人にビラを配る。だいたい断られるのだが、1人でウロウロしているおじいちゃんや、けちそうなおばちゃん、地元のヤンキーみたいな若い子はビラを受け取ってくれる。見定めながらわたしは声をかけるが、連続で断られ続け憂鬱になり始めていた。「寒い」や「疲れたぁ」などと独り言を繰り返す。すると、さっきから近くのカフェバーの前でウロウロしていた、スーツ姿のサラリーマンと目があった。あ、と二人の声が重なる。「上田さんですよね?!」とわたしが声をかけると、うんうんとうなずきながらその男は近づいてきた。だと思った、などと言いながらその男はわたしの格好を見て「なにしてるの?!」と尋ねる。「バイトですよ。よかったらぜひ。」わたしはラッキーと思いながらビラを渡した。そう、この人は、わたしが以前インターンシップでお世話になった会社の人だったのである。一週間お世話になったこともあって顔を覚えてもらえていたらしい。少し会話をして、上田さんは「じゃあまた。」と言いながら駅の方に去っていった。少し嬉しい気持ちになりながら、わたしはビラ配りを再開した。

1時間以内になんとかビラも配り終え、わたしは店内に戻った。今日は、バイト内でうざがられてるNo.2とNo.3と3人で厨房にいなければならない地獄の日であった。「しんどい」と小声で呟いてしまうほどには、3人で同じ空間にいるのはしんどかった。No.2は全く仕事をしないし、No.3はとにかく自分の話ばかりしてくる。おまけに二人ともブサイクなオタクであり、2人が話しているところを見ているだけで不快になりそうになる。必死に心の声を抑えながら、わたしは「へぇ」や「そーなんですねぇ」を順番に並べなんとか会話している風を取り繕う。No.2とNo.3で会話が盛り上がっているところに、わたしの大好きな同性の先輩がやってきた。瞬く間にわたしは笑顔になって挨拶をした。オタク同士で会話が盛り上がっているうちに、と先輩の方に逃げて話をしていると、ふと、オタクたちの会話が止んでいることに気づく。横目で確認してみると、なんとNo.3が会話に入りたげにこちらを見つめているのである。いや、No.2と話盛り上がってたじゃん!そっちで盛り上がっときゃいいじゃん!なんなの?!と思いながら、先輩には話したいがオタクたちには聞かれたくない話であったのでぐっとこらえわたしはだんまりした。地獄であった。

廊下を歩いていると、バイトのメンバーの中でもわたしが最も推している先輩、通称推しくんが、出勤前でちょうど私服姿で階段を登っているところに出くわした。わたしはラッキーと心を弾ませながら挨拶をする。そのままニヤニヤしながら歩いていると、向かいから来たお客さんにぶつかりかけた。申し訳ありませんでした。

そこからは本当に地獄で、バイト時間が残り1時間もなかったにもかかわらず、めちゃくちゃ忙しくて本当にしんどかった。

帰り道、わたしはスーパーに寄ってチューハイ2缶とポテトサラダとカップ麺を買って帰った。おっさんやないかい、とは言わせない。

お腹が減っていたわたしは、お風呂に入る前にチューハイの缶を開け、ごはんを食べることにした。

そして、気づくと朝になっていた…、というのがわたしの本当のところの理想だったのだが、わたしは全く眠ることができなかった。ここ最近、体内時計がずれてきている気はしていた。夜中3時になっても眠れない日が続いていたのだ。そして、昨日はついに眠れなかった。次の日は土曜にもかかわらず学校の講義があったわたしは、眠らないことを決意して、ラジオを聴きながらネットショッピングに勤しんだ。

8時に目覚まし時計が鳴った。わたしはすかさず部屋に鳴り響くその音を止め、カーテンを開け、ニュースをつけ、コーヒーを入れた。いい朝である。のんびりしすぎていつもより準備時間が短かくなってしまった割には、いつもよりメイクも髪もうまくいったのでルンルンで学校にでかけた。

 

教室に入ると、人がいつもの三分の一、いや四分の一以下しかいなかった。しかも、見たことのない先生が教壇の前にいる。あれ、とわたしは今日の講義内容を確認する。「あれ」と思わず声に出た。思っていた授業と違ったのだ。教科書も間違えたし、そもそも教科書ないとついていけない講義だぞこれは…帰るか…?と心の中でつぶやく。と同時に、先生が立ち上がり講義の準備を始めた。人数も少ないし、今来たばかりなのに出にくい、とわたしは一コマは我慢することに決めた。早速教科書がないと話についていけない内容であり、わたしは持って来ていたゼミ課題を広げる。ついには眠気に襲われ、気づくとお昼休憩になっていた。わたしは机を片付けると、教室を後にした。

 

今日のお昼はマックにした。食べたらここを出よう。

 

さて、今日は何をしようか。

 

わたし

わたしは、自虐が癖なのである。

とても嫌な癖だし、治したいと何度も思っている。ふとした時に自虐をしている自分に気づき、悲しくなり、虚しくなり、情けなくなり、死にたくすらなる。

 

わたしは昔からいじられキャラだった。生まれてこのかた、記憶のあるうちは、小中高大学生と、いじられてこなかったことがない。そして、自分でも「わたしはいじられてこそ生かされているのだ」ということを自覚している。逆に言えば、いじられなければ、わたしはいてもいなくても変わらない、面白みもない、だれからも求められないような存在である、ということを自覚しているということである。この時点で自虐である。そして、自分で書いていてちょうど悲しくなってきたところである。

 

自分で言うのも何だが、ありがたいことに、わたしはかわいい、美人、頭良い、などと褒められることもたくさんある。いじられるのも、いじり側からの愛の伝わるような、そんな感じである。そしてこのいじられキャラは、母からの遺伝で、うちの家族は皆いじられキャラなのだ。

 

だが、もちろん、今までの短い人生の中で、愛のない冷たいいじりもたくさん受けてきた。意味のわからない無茶振りをされたり、人目に羞恥を晒すようないじりをしてきたり、わたしを馬鹿にしてくるような人もたくさんいた。その度わたしは、時には幼かったため泣くこともあったが、なるべく温和に交わし、平和の場を保とうとした。そういう日々を送った先に待っていたのが今の自分なのである。

 

わたしはいじられることに慣れすぎたのである。どんないじりだろうが、慣れっこなので、我慢してしまうようになった。例え、それがわたしの人格を否定するような酷いいじりでもだ。受け流す能力を身につけたのだ。だが、受け流すと言ってもそれは建前で、受け流しているように見えて心にはぐさぐさと傷が刻まれていくのである。わたしはそれを隠すのだ。誰にもバレないように、その場が平和に収まるように、わたしだけが我慢すれば、みんなは良い雰囲気でいれることができるのだ。傷つきやすい思春期の時期も、わたしは我慢し続けた。むしろこれが日常だった。そして、今でもそれはわたしにとって当たり前のように行われていることなのだ。

 

自分に自信がないわけではない。でも、自信はない。周りはわたしを褒めてくれる。だが、同時に貶してもくる。自信がつくような経験も度々ある。しかしその後に「でも自分はどうせ人より低い位置にいる」という自虐が無意識のうちに襲ってくる。わたしが「良い」と言うものは、周りに大した理由もなく否定されてきた。みんな、わたしを見下しているのだ。例え、わたしのことを嫌っていなかったとしても「あいつはいじってもOK」という考えから肥大した、わたしを見下すという行為が知らぬうちに始まっているのだ。もしかしたら、彼らは、それに気づいていないのかもしれない。だが、わたしは気づいている。

 

自意識過剰、被害妄想、そう言われるかもしれない。だが、わたしはそうとしか考えられないのである。そういうわたしを形成したのは、わたしのキャラクターもだが、わたしの周りの人たちなのである。こんな歪んだ人間になんてなりたくなかった。

 

みんな誰しも自分に完璧な自信なんてないだろうし、人から馬鹿にされることもあるだろう。わたしもみんなと同じ、変わらないのかもしれない。でも、わたしは、自分がこんな風に形成されてしまったことを周りのせいにしなければ、この先どう生きていけばいいのかわからない。それくらいに、わたしは自分を惨めだと思わずにはいられない。そしてそれは、明らかに周りの責任である。自分が面倒くさいことはもう随分前から承知の事実だ。

 

確かにいじられなければわたしはつまらない人間だとも思うから、このキャラクターを今更変えるわけにはいかないし、今までの人生全てを否定したいわけでもなくて、むしろこのキャラクターだからこそ助けられてきたこともたくさんあるのだ、というような、そんな情緒不安定に陥る毎日なのである。

 

今日も、ふと自虐をしている自分に気づき、死にたくなった。こんなわたしを、見捨てずに、誰か、重たい愛で満たしてくれないかな。「面倒なことは嫌い」と言うわたしが一番、面倒くさい人間であることは、わたしが一番よくわかっているよ。でも、どんなに虚しくなっても、辛くなっても、死にたくなっても、涙は流さない強さはやっと身につけたようだよ。

 

今になって、やっとはっきり物事をYES、NOと言えるようになり、友達の数というのは減りはしたが、信頼できる友達はできた。わたしは、いつかわたしを見下してきた人たちを見下してやる、というのを心の片隅に置いて日々生きていたりする。それがきっかけで偉人になれたら言うことはないし、でもそれを常に思ってる自分が、自分を馬鹿にする人たちから結局逃れられないのだ、というようなよくわからない思考に落ち着き、嫌になったりもする。わたしの敵は、そいつらじゃなくて、昔のわたし、昔から変われないでいるわたしそのものなのである。

 

自分にとってマイナスな部分が、長い目で見るとプラスの部分につながっている、ということを真正面から受け入れることができない。そんなわたしだから、こんなに歪んでいるのだろうか。そんな自分を、今更変えることはできるのだろうか。変わろうと思うことは、人間の成長にとって大事なことである。変わろうと思って、変わるための努力をすることに、意味がある。これは先日わたしが後輩に言った言葉である。(どこかで聞いた言葉なのかもしれないが、後輩を励ますためその場で考え自分の言葉で言ったつもりである。)

 

変わりたい自分と、変われない自分。自分の自信の持てる時と、自信の消える時。人生やり直したい、なんて多くの人が思ってる。でも終わりよければすべてよしでしょう。変わることに遅いなんてない。これは、自分への激励の文章である。

 

今日は学校

今日は講義があるため、学校に行く予定でした。

 

予定でしたのですが、今わたしはなんと自宅で珈琲を飲んでおります。

 

朝、きちんと起き、身支度を済ませました。久しぶりにスカートを履いて、髪の毛も綺麗にまとめて、お化粧もきちんとしました。しかし、身支度も終わりさぁ家を出るぞ、と玄関で靴を履いた瞬間、学校に行く気がなくなったのです。

 

もともと、今日の講義は正直出なくてもいいかなぁと思っていた内容だったので、学校行きたくないし、行かなくていいや、とまぁこんな考えにいきつきまして、そこから玄関に座ってひたすら昨日の夜から今朝にかけてのツイッターを見てました。

 

お昼前にやっと立ち上がり、買い物に行きました。そして帰宅してから、珈琲を飲んでいるわけです。

 

まぁ、こんな日があってもいいよね…。と、自分を甘やかすからいけないのですよね。明日も実は講義があるんです。土日学校って本当に嫌。でも、明日はちゃんと行きます。そして今からきちんと勉強します。